色々な生活の中で思ったことを自分なりにまとめていこうと今年から書き始めたこの月刊ブログ。これが想像以上に楽しくて、これまであんまり人に言えないかった内容を書ける事が喜びになっている。
最近漠然と思った事があって、面接等の大事な局面では相手が求めている人物像に近づけろ!とよく言われるが、これに関して二手に分かれると思う。
- 嘘をつかずに正直に話す
- いい塩梅でうまく嘘をつける
この二つに分かれるんだけれど、言うまでもなく上手くいくのは後者だ。考え方って難しくて、ここぞの場面では正直に話しすぎるといい風には見えない。
そう思う人も多いかもしれないが、その状況によって正義や最適解は変わっていく。本音を言っていても中身がなく、落ちるような面接内容になるならそれは不正解。
面接には受かる事が目的であり、自分の聖人ぶりを話す場所ではない。本当に嘘をつかずに自分の武器で戦うだけが正義なのかも疑問が残る。
「合理的な判断ができない」そう判断されてしまう場面だってあるだろう。
さらに同じニュアンスだと感じるのがレビュー関連だ。
最近ではレビューで忖度しない事が全てかのように美化されているけれども、発信者は趣味でやっているような人でなければそれは仕事。
企業案件はネガティブな要素を伝えるにもかなりシビアになるし、どこまでが本音かどうかは難しい。
ただこれに関しても、仕事であれば全てを正直に言い過ぎると企業案件なんて来なくなるから、いい塩梅で自分を押し殺した方がベストなんてケースもザラだろう。
企業だって自社の商品の粗探しみたいになってしまってはいい気分ではないし、その商品自体が売れなくなるリスクもはらんでいる。そこのバランスがうまくできる人が一番いいんだけども…
自分が見ているインフルエンサーでも、本当に自分の伝えたいようにやっている人は指折りしかいない。何回かは企業案件がお蔵入りになったりしているし、動画や記事のお金がどこから出てくるのかを考えると、企業案件を受けなくなるのが定番の流れになってしまう。
例えばYouTubeの場合だと企業案件と広告収入、さらにはスポンサーもついてもらえるのが収益としては最高な状態だから「いい塩梅」を求めていく事がプロとして重要なんだろうなと感じた。
面接でもインフルエンサーでも人に物事を伝えようとする際には、何が最適なのかを考える必要がある。
- どんな情報が相手に刺さるのかを考えて発信内容を変える
- 自分が思ったことを軸に本音を伝える
相手がいる以上、相手に何が刺さるかを考えて発信していく方がいいと思うが、相手側が本当に欲しいのは本音の部分。ここに大きなギャップが生じる。
ただ個人的な経験で言えば、その本音を押し殺して発信できる人の方が遥かに多数派で世間的な成功はしやすい。
もっと言葉を選ばずに言えば、本音で話してしまう人は少しおかしな変わっている人が多い。
今回の記事に近い内容でいえば、人の表情から何かを読み取るのが苦手で空気読めない発言をしてしまったり、合理的に考えすぎて感情に寄り添えなかったり。
きっと皆さんの身の回りにもこれに近い人が何人かはいると思う。
奥さんに言われて気がついたのだが、正直自分自身もこのおかしい側の人間。それまでの学生時代含めてもそんな事考えた事もなかったが思い当たる節はたくさんあった。
大人から怒られる理由が全く分からない
同級生の言動で何が楽しいのか分からない
そんな事を察する事ができずに相手の求めている事が分からずについ本音をぶつけてしまう。本当に自分が損をしない立ち回りができないと言う意味で、これは無能極まりないと思う。
数少ない友達は、信頼関係があるからこそ飲み込んでくれたり理解してくれたんだと改めて思う。感謝。
そして今人と接する時には、
- 友人なら本音を出せる人
- 仕事での付き合いなら押し殺せる人
知らず知らずのうちにそんな風に区分していた。
このブログやYouTubeに関しては友人や過去の自分に向けてというペルソナで発信をしているから、本音の部分で自然に書くようにしている。だが人を傷つける意図はないから言葉は選ぶ。
リーチを取るなら少し過激な事も含めてやっていかないといけないのだが、いい塩梅が分からないタイプの人間だからこそ、これからも不器用に発信していきたいと思う。
「ユーザーが本当に欲しいのは面接のように取り繕った意見ではなくて、ありのままの本音」信頼できる友達の意見が最強。
ではまた!